はしだのりひこ氏の訃報、新聞各社の報道に違和感!

フォーク系出身のミュージシャン、はしだのりひこ(端田宣彦)さんが12月2日、長らく患っていたパーキンソン病で亡くなりました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

さて、この訃報を新聞各社、テレビ、通信社が報じているのですが、それがどうもおかしい。
ってゆうか、はしだのりひこの最盛期を知ってる人には、その紹介の仕方に大きな違和感があると思うのです。

見出しを抜き出してみました。
●はしだのりひこさん、72歳で死去 「悲しくてやりきれない」などのヒット曲(HUFF POST)
●はしだのりひこさん死去 フォーク歌手、72歳 「帰って来たヨッパライ」「花嫁」などヒット(産経WEST)
●はしだのりひこさん 72歳=元フォーク・クルセダーズ、歌手(毎日新聞)
●歌手はしだのりひこさん死去、72歳=元クルセダーズ、「風」「花嫁」(時事通信)
●きたやまおさむさんや加藤和彦さんらが結成したクルセダーズに1967年から参加。「帰って来たヨッパライ」が大ヒットした。(本文より)(共同通信)
●「悲しくてやりきれない」などのヒット曲で知られるフォークグループ「ザ・フォーク・クルセダーズ」の元メンバーで、歌手のはしだのりひこさんが2日未明、京都市内の病院で亡くなりました。(本文)(NHK)

このように、多くのメディアがフォーク・クルセダース(以下フォークル)のメンバーだったと紹介しているのですが、これは間違いではないものの、はしだの経歴を一言で紹介するうえでこれを書くのは不適切と感じます。

時事通信、共同通信に至っては、フォーククルセダースじゃなくてクルセダースと書いてますが、クルセダースはアメリカのジャズ系バンドです。クルセダース(クルセイダース)は元々ジャズ・クルセイダースと名乗っていたので、それにあやかって加藤らはフォーク・クルセダースというバンド名にしたとのこと。
フォーク・クルセダースを「フォークル」と略されることはあっても、クルセダースと略すことは絶対ないです。

特に酷いのは産経WESTで、12月5日時点ではまだ修正されていません。はしだは関西出身なのに、地元メディアがこんなじゃ、ほんとに浮かばれないです。

フォークルの最大のヒットは“帰ってきたヨッパライ”。ボーカルの回転数を上げて「オラは死んじまっただ〜」ですね。
この曲は、まだアマチュアの大学生だった加藤和彦氏(後に海外でも著名なサディスティック・ミカ・バンドを結成)と北山修氏(後に著名な精神科医となる)が中心となって制作されたものです。北山の自宅にあった語学用テープレコーダを使って録音されたもので、そのまま録り直すこともなくレコードになっています。
1967年末に原盤権を得た東芝音楽工業から発売され、シングル盤の売上は累計283万枚という、歴史的かつ空前の大ヒットとなりました。

しかし、はしだはその曲の録音時には、まだフォークルのメンバーでは無かったので無関係なのです。
産経WESTは、この曲を訃報の見出しにしていますが、はしだはこの曲に参加していません!

はしだの最大のヒットは、女性ボーカルを擁す「はしだのりひことクライマックス」での『花嫁』(1971年)、代表作という意味では1969年の『風』です。
はしだをひとことで紹介するなら、この2曲を取り上げるのが筋ってもんですよ。
「は〜な〜よめは〜、夜汽車〜にのおって〜」50才以上の人なら誰でも知ってるんじゃないでしょうか。今でもカラオケでよく歌われると思います。
この曲、1971年の年間ランキング7位で60万枚を売り上げています。ちなみにこの年の1位は「わたしの城下町」(小柳ルミ子)、2位「知床旅情」(加藤登紀子)、3位「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)….と、今でも歌い継がれる有名曲が並んでますね。そんな中での7位ですよ、文句ない大ヒットと言えるでしょう。

そして、『風』は、「はしだのりひことシューベルツ」というバンド名義で1969年に発表されています。こちらは大ヒットというより、学校の合唱などでもよく歌われるエバーグリーンとなっている名曲ですね。
「ひとはだれも、ただひとり、たびに〜で〜る〜」若い人も聴いたことある!って思うんじゃないですかね。

どちらも、北山修作詞・端田宣彦作曲です。
こんな超有名曲が2曲もあるにも拘わらず、最大のヒット曲を録音した当時はメンバーではなかったフォークルを、はしだの代表的な経歴として書くのは、どう考えても不適切でしょう。

そもそも、はしだはフォークルではどういうスタンスだったのか。
加藤と北山はアマチュア時代からの同志だけど、はしだはプロデヴューに際して参加したメンバーなので、人間関係的にはビジネスと割り切っていたのかも知れません。
私は加藤和彦のファンだったので、フォークルが2002年に期間限定で再結成した時のニュースは結構チェックしてたのだけど、「はしだのりひこ」の名前が全然出てこないことに違和感を感じました。
再結成フォークルには、はしだの代わりにアルフィーの坂崎氏が参加しています。
当時、はしだは参加できる状況じゃなかったのかもしれないけど、それにしても全然名前が出てこないって変ですよね。

検索すると、こんな話が出てきました。書いている人はどんな素性の人か不明ですが当時の状況を知っている人のようです。
《実ははしださんはフォークルの正式なメンバーではなかったのです。はしださんはアイデア先行型の作家性の強いデュオであるフォークル(加藤さん&北山さん)を技術的にサポートする立場にあったようです。はしださんはフォークルに入る前にドゥーティ・ランブラーズの一員としてクラウンからレコードを出しており、関西のフォーク界では実力を認められていた人》
フォークル唯一のアルバム、紀元貮阡年には三人の写真が載っていますから、正式メンバーでなかったわけではないと思います。しかし、精神的な繋がりという意味では、はしだは助っ人的存在だったのだと思われます。

また、こんな証言も出てきました。これも素性不明の方ですが。
《フォークルは加藤・北山、そして松山猛氏の3人が内面上の実態だと思います。「帰って来たヨッパライ」は平沼氏や芦田氏がいた「第一次フォークル」の作品ですし、「加藤・北山・端田」のフォークルは、平沼氏や芦田氏が各々の事情でプロ進出を降りた際に急遽編まれた「第二次フォークル」に過ぎません》

フォークル、一度だけの再結成ライブの映像、NHKで放映されたものはYouTubeにありました。
MCもかなりあり、昔の話もしていますが、やっぱりはしだのりひこの話は出てきません(もしかして聞き逃していたらスミマセン)。

また、加藤和彦氏がフォークル時代の話をしているインタビューもありましたが、ここでも、北山の話はしているのに、はしだの名前はまったく出てきません。まるで「はしだのりひこ」はフォークルに存在していなかったかの如くです。

club willbe:加藤和彦インタビュー

いかがでしょう?
はしだのりひこ氏の訃報にあたって、見出しにフォークルを出してくる違和感をわかって頂けましたでしょうか。
本人もこれを知ったら悲しむと思います。
やっぱり、『風』や『花嫁』の「はしだのりひこ」だと思うのです。

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