場末の屋上遊園地でバイトしていたのは、若き日の超大御所漫画家だった。

これは、1981年の話です。

雑誌編集や広告関連の仕事に30年以上携わっていると、色んな人たちに会うものです。
中には、その時は無名でも、後に超有名人になった人もいます。
特に思い出深いのが、後に日本を代表する漫画家の一人となった青年(当時)。
出世作の主役が、超有名スポーツ選手の愛称となった、あの人。
世界中の漫画賞を総なめした代表作が3部作の映画となり、大きな話題になったあの人!ですよ。

当時私は、仕事仲間に誘われて立ち上げた編集・デザインプロダクションで、「クリエーターに捧げる音の料理法・レコーディング入門」(誠文堂新光社刊)という別冊本の編集に携わっていました。
その本は入門書なのでイラストを多様するのですが、予算も限られてるので、バリバリのプロにはなかなか頼めません。
そこで、事務所にバイトに来てたN君に相談したところ、大学の軽音部の仲間で漫画が上手い人がいるという。さっそく来てもらいました。
気さくで物腰の低いその若者は、向ヶ丘遊園の忠実屋スーパーの屋上遊園地(私の記憶違いの可能性もあります)でバイトしてるとのこと。すでに大手出版社の漫画雑誌編集部に出入りしていて、連載の機会を伺っている、なんてことも話してくれました。
で、絵を見せてもらうと….。
私「ふ〜ん、絵のタッチが大友克洋にそっくりだね」

若者「よく言われちゃいます、大ファンなので」

私「おんなの子が色っぽくないんじゃない」

若者「そうなんです、ちょっと苦手で。」
なんて、未来の大家を前にちょーエラソーなやりとりがあって、仕事をお願いすることになりました。その若者こそが、今をときめく浦沢直樹さんだったのです。
内容が音楽関係の本だったのですが、浦沢さんは当時バンド活動をしていたので、まさにうってつけな人材。細かい説明不要で的確な絵を仕上げてくれたのでした。
それから何年後だったか、YAWARAが大当たりし、人気漫画家となったのは、みなさん御存知の通り。
YAWARAが当たって多忙な頃、久々にNくんの結婚パーティで再会しましたが、全然偉ぶらない好青年のままでした。というか、かなりお疲れの様子でした。大勢が彼を取り囲み、ロクに話もできませんでしたけどね。

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